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津軽三味線の始祖 「仁太坊」

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「仁太坊」こと秋元仁太郎は、安政4年7月7日に金木町神原に生まれた。 8歳のとき疱瘡がもとで失明。12、3歳のころ、上方から流れてきた女三味線弾きから手ほどきを受けたと伝えられている。「叩き奏法」と「即興」というスタイルを確立し、 伴奏楽器を独奏楽器へと変えた三味線界の革命家である。「人まねでね おめの三味線を弾け」が仁太坊の三味線哲学で、現代の津軽三味線奏者の礎になっている。

津軽三味線の神様 白川軍八郎

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始祖「仁太坊」の最後の弟子。9歳で弟子入りし、わずか3年で師匠を凌ぐ腕になったと言われた。 仁太坊の「叩き三味線」に対し「弾き三味線」を得意とし、 自然界の音を三弦に昇華させ、津軽三味線の神様と呼ばれ、木田林松栄や福士政勝といった名手にも多大な影響を与えた。井上勇美人、井上成美兄弟の師。

白川流津軽三味線家元 井上勇美人

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岩手県岩手郡滝沢村元村にて井上家長男として生まれる。幼少から三味線のとりこになり、中学卒業後、津軽民謡・睦奥の家演芸団(工藤美栄子一座)に入り、東北・北海道を巡業。師匠・白川軍八郎から津軽三味線の真髄を学び、新しい手を加えて独特の音色を編み出した。東京に移ってからは「白川流津軽三味線家元」として放送・舞台に出演、後進の指導にあたった。

岩手三弦界の大御所 井上成美

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昭和8年8月1日岩手県岩手郡滝沢村元村生まれ。11人兄弟の三男坊。中学卒業と同時に兄・勇美人の師、白川軍八郎へ弟子入り。南部民謡に力を入れ、「気仙坂」「南部よしゃれ」「茶屋節」などに前奏・間奏をつけ現在の形に整え普及に努めた。22才で尺八の藤原正二とNHK盛岡放送局専属伴奏者となる。レコーディングした楽曲は数百曲に及ぶ。その後、郷土民謡研究「成美会」(現 成美会音楽事務所)を設立、苦闘の後に会員数300名を誇る団体となる。財団法人日本民謡協会岩手県連合会委員長を歴任、同協会から名人位の称号を贈られた。本イベントプロデューサー黒澤博幸の師。

二代目 井上成美 (民謡プロ歌手)

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数多くの民謡大会での優勝を経て昭和48年プロ入り、ステージと唄の指導にあたる。昭和53年、日本コロンビアレコード専属歌手となり、昭和63年には(財)日本民謡協会認定教授取得。多くのリサイタル等を大成功させた後、平成21年「井上成美」追悼・二代目襲名披露公演を開催し成功裏に終える。平成24年、唄道50周年リサイタルを開催。外山節、南部よしゃれ、他東北民謡などレコーディングした楽曲多数。

総合プロデュース 黒澤博幸 (三絃・津軽三味線)

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2002年〜2004年「津軽三味線全日本金木大会」で最高位の「仁太坊賞」を三連覇。津軽三味線の始祖「仁太坊」の演奏を継承する正統派。現在、津軽三味線 黒澤会会主。東日本大震災では稽古場や弟子が被災したことから支援が始まり、ドイツ、台湾、アメリカなどでも公演。2003年、元オフコースのドラマー大間ジローと出会い、Soul&BeatUnit「天地人」を結成。作曲・編曲を手がけ、2010年のパリ公演では絶賛を博す。ロックギタリストの「山本恭司」や「東京フィルハーモニー」さらには、講談師「神田紫」や地歌舞「古澤侑峯」など様々なアーティストと共演。6月のスペイン公演では、フラメンコギターの最高峰「カニサレス」と共演。世界に誇るトップレベルの演奏を続けている。

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仁太坊生誕150周年記念碑白川軍八郎井上勇美人初代 井上成美黒澤博幸二代目 井上成美
仁太坊生誕祭2014
主催
「仁太坊」生誕祭実行委員会
TEL03-3476-4422
(ジャパンユニオン内)
共催
NPO法人かなぎ元気倶楽部
神原仁太坊会