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ご挨拶にかえて

 津軽三味線の始祖、仁太坊こと秋元仁太郎は、今から157年前、安政四年(1857)7月7日、金木町神原に生まれました。 「仁太坊生誕祭」のプロデュースを努める私、黒澤博幸は仁太坊のひ孫弟子にあたります。
 その昔、仁太坊の最後の弟子に、金木町生まれの白川軍八郎先生がおりました。 仁太坊から「心」と「音」を受け継ぎ、後に”津軽三味線の神様”とまで言われるほどの腕前でした。
 私は7歳から細棹の三味線を手にし、16歳から太棹に持ち替え、津軽三味線を本格的に独学で猛勉強し始めました。18歳で津軽三味線全国大会A級に初出場し、初入賞。それからおよそ2年間、津軽三味線奏者、津軽民謡歌手の諸先輩や先生方とステージに上がる機会が急に増えていきました。その一方で、「津軽民謡・津軽三味線の根源」を理解するのに苦しみ続けました。
 20歳の頃、弘前市のステージ楽屋で、ゲストとして招かれていた故・井上成美先生、菊池マセ先生(現二代目井上成美)に初めてお会いしました。この時、井上成美先生はこうおっしゃいました。「あなたの三味線はうちの兄貴の三味線にそっくりだ。君は誰の弟子だ?」
 自分には津軽三味線の師匠はいないこと、中学の時に、当時の三味線の先生からもらった演奏者不明の1本のカセットテープと、高橋竹山先生のカセットテープを聞きながら、独学でやってきたことを伝えました。

 この出会いがきっかけで、聞き続けたテープの演奏者は、井上成美先生の兄、白川流津軽三味線 井上勇美人(ゆみと)先生の津軽三味線だったことを知りました。 井上成美先生は、岩手県の民謡の大御所で、様々な岩手民謡の伴奏間奏の作曲編曲も手掛けていました。その井上兄弟は、お互い中学を卒業すると白川軍八郎先生に弟子入りしていたのです。
 さらに、私の三味線の師匠と呼ぶ方は複数おりますが、師匠全員が、当時の井上成美先生のお弟子さんだったことも分かりました。私は、三味線を手にした時からずっと、知らないまま白川流を学び、弾いていたことになります。
 この出会いによって、成美先生に弟子入りして6年余、様々なことを教わりました。津軽三味線と民謡伴奏の撥付けの違い、白川軍八郎先生と井上勇美人先生の奏法と音。そして、津軽三味線奏者としての生き方など大切なことをたくさん教えていただきました。今回の「仁太坊生誕祭」では、二代目井上成美先生をゲストとしてお招きいたします。 これまで35年の間、三味線を弾き続けてきた私の中の点と点が、津軽三味線発祥の地、金木町でようやく一本の線に紡がれることとなります。この特別な日を迎えられることに、心より感謝いたします。

津軽三味線黒澤会 会主
三絃・津軽三味線 
黒澤博幸

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仁太坊生誕150周年記念碑白川軍八郎井上勇美人初代 井上成美黒澤博幸二代目 井上成美
仁太坊生誕祭2014
主催
「仁太坊」生誕祭実行委員会
TEL03-3476-4422
(ジャパンユニオン内)
共催
NPO法人かなぎ元気倶楽部
神原仁太坊会