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津軽が生んだ孤高のアーティスト
「仁太坊」こと「秋元仁太郎」

1857年7月7日、青森県五所川原市(旧北津軽郡)金木町神原で生誕。父親は渡し守、母親とは幼少時に死別。8歳で天然痘により失明し、11歳で父親死去。天涯孤独のなかで横笛・尺八・三味線を持ち、門付芸人(各戸を訪ね演奏し糧を得る芸人)となり、「仁太坊」と名乗る。常識を打ち破り、これまでにない力強い「叩き奏法」など独自の奏法を編み出し、伴奏楽器の三味線を独奏楽器へと変えた孤高の天才。1928年11月2日71歳で逝去。「仁太坊」最後の弟子「白川軍八郎」また「高橋竹山」などによって、津軽三味線は日本伝統の優れた音楽として確固たる地位を築くことになった。

東日本大震災復興支援イベント

2012年7月7日〜7月8日











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